Think 特別編 佐久間まゆは「強い」 〜メタ視点からの考察〜
本記事は佐久間まゆ Advent Calendar 2018の12/15の記事です。
こんばんは、ながさわです。
はじめましての方は、はじめまして。十時愛梨と三村かな子と諸星きらりの担当をしておりまして、普段は十時愛梨をThinkするブログを書いています(このブログですね)
今日は特別編として「深紅」なアイドル、佐久間まゆについて考えてみたいと思います。なぜ佐久間まゆに興味があるのかといえば以前に記事化していますので、よろしければそちらもごらんください。
といっても、私は佐久間まゆ本人への理解は浅い*1ので、いちデレPとして、「シンデレラガールズ」というフレームを振り返りつつ、メタ的に佐久間まゆを考察したいと思います。
■そもそもシンデレラガールズって何だ
ここで改めて「シンデレラガールズ」が何か、ということを話してみたいと思います。183人(もうすぐ増えますが)という大所帯であること、個性的な女の子が集っていること、童話「シンデレラ」がモチーフとして各所に取り入れられていること…等々、思いつくものを挙げればキリがありませんが、ここでは
「ソーシャルゲームを土台としたコンテンツであること」
という点に注目したいと思います。つまり、次の2つです。
・エンディングがない
シンデレラガールズより前のアーケード版や据え置き機では「エンディング」がありましたが、シンデレラガールズはソーシャルゲームなので、サービスが終わらない限りは随時更新が入ります。このことから更に3つの特徴が派生します。
a.サービスを続けるためには物語を紡ぎ続けなければいけない。つまり各アイドルはアイドルを辞めることができない
b.旧来のメディアで供給されたゲームならばスタートからエンディングまでの物語が完成した状態でリリースされていた。しかし、ソーシャルゲームは随時更新であるため、(受け手の反応を見て変える、など)先の展開が流動的である
c,(bを受けて)物語を描ききってしまうと、それ以上の更新ができなくなってしまう。そのため、エンディングになりうるような要素(例:死亡*2、結婚*3、転職*4など)は回避される
・カードが主体で構成されている
ここでモバマスの画面を思い出してみてください。
モバマスの中で発せられる「セリフ」は、吹き出し、もしくはメッセージウィンドウの中にあります。そしてアイドルは静止したままです。
ここで問題になるのが、「セリフ」の細かいニュアンスがわからない、というところです。例えば「ねえ見てください!」と話しかけられたとして、それがなにを指しているのかもわからないし、どんな表情で言っているのかもわからない。「人は見た目が9割」なんて本が昔流行りましたが、ボディランゲージ的な部分が全く削がれたコミュニケーションを求められているわけで、細かい部分は我々の想像力で補わなければいけない部分が大きいんですよね。
これが言い方を変えると、背景の描き込みに隠された情報*5であったり、もしくは複数枚のカードをつなぎ合わせて意味合いが生まれるような仕掛け*6であったり、何かしらかの「気付き」が「面白さ」に繋がっているフシもあります。*7
さらにもう1点、ソーシャルゲームである点とは別の特徴として挙げておきたいのがこれです。
・「346プロ」ではない
たまによくある誤解ですが「シンデレラガールズ=346プロ」ではありません。あくまで「346プロ」は武内Pがいて今西部長がいて、美城専務がいるあのプロダクションです。私は美城専務の部下じゃないし、私は346プロの従業員じゃない*8。
これがつまり何かといえば、プロデューサーの数だけそれぞれの事務所が存在しうる、ということなんですよね。公式展開されているコミカライズでも「WILD WIND GIRL」と「U149」では事務所の様子はかなり違いますし、何なら「WILD WIND GIRL」では、向井拓海と十時愛梨は別の事務所に所属していました。でも、たぶん皆さんの手元にある事務所の所属メンバーを見れば、いる子もいたりいない子もいたりするんじゃないでしょうか。
そして、ミリシタでは「UNION!!」という曲が出ましたが、デレステは「夢を他人に託すな」。そもそも「総選挙」なんていうシステムもありますし、バランスとしては「団結」よりは「競争」寄りで、「ひとつ屋根の下感」よりも「アイドル同士の切磋琢磨」寄りなのがシンデレラガールズですよね。でも、そもそもシンデレラガールズって「ひとつ屋根」かといえば、先述の通り、あの子とその子は事務所が違うかもしれないですよね。ミリシタは文字通りひとつの劇場の屋根の下ですけれども。これもシンデレラガールズの特徴として挙げておきたいと思います。
■シンデレラガールズの中での「佐久間まゆ」
さて、いよいよ佐久間まゆの話に移ります。
ここまで述べてきたシンデレラガールズの特徴を「佐久間まゆ」と突合してみると以下のようになります。
・「ひとつ屋根の下感」よりも「アイドル同士の切磋琢磨」寄り
→ 「あなたたち…邪魔」に代表されるような攻撃的な言動が許容される
(「団結」寄りのコンテンツだったら明らかに浮いてしまう)
・プロデューサーの数だけそれぞれの事務所が存在しうる
→「まゆだけを見て」と言ったときに、まゆだけを見るPが許容される
(アニメでも武内Pとは別に「まゆ担当」が登場した)
・細かい部分は我々の想像力で補わなければいけない部分が大きい
・何かしらかの「気付き」が「面白さ」に繋がっているフシ
→「佐久間まゆ=怖い」という先入観を逆手に取った描写
→ふと立ち止まることで初めて真意に気づくセリフの数々
そして、いちばん重要なのは次のポイントです。
・各アイドルはアイドルを辞めることができない
・エンディングになりうるような要素(例:死亡、結婚、転職など)は回避される
メタ的に考えると「佐久間まゆにはプロデュースされ続けてもらうために、アイドルであり続けてもらわなければならない」という宿命を負っているわけです。一方で、ソーシャルゲームである以上、定期的に更新がないと(非常にメタ的ですが)課金が起きないので、物語は進めなければいけません。
初期の佐久間まゆはPへの接近を図っていましたが、[恋愛シンドローム]ではクルマの中に忍び込んで、行き着くところまで行ってしまいました。もうこれ以上進む先が無くなってしまう、というときに登場したのが[永遠のキズナ]でした。そこで佐久間まゆ本人の意志として「アイドルであり続けることでプロデュースされ続けたい」という心情が語られました。
言い換えれば、佐久間まゆはPへ抱いた恋を叶えられなかった一方で、別れて立ち去るというバッドエンドも選ばず、恋路を放棄することで、Pの横に立つという永遠を手に入れた、ということになります。バッドエンドを迎えたわけではないので、「過去の悲恋」ではなく「現在進行系の悲恋」とでも言いましょうか。これを16歳の少女に負わせるとは業が深いぞシンデレラガールズ。
でも仮に私が、もしメディアのある据え置き機のゲームでシナリオを書いたら、きっと佐久間まゆストーリーのエンディングは結婚か離別の2パターンしか書かないと思います。[永遠のキズナ]は傑作であると同時に、ソーシャルゲームという構造上の制約から生まれたものでもある、とも、言えるんじゃないでしょうか。
■佐久間まゆの「強さ」とは
ここからは私の個人的な感想ですが、ひとえに抱えた「業」が強いです。
佐久間まゆは「Pの望むアイドルになる」がアイドルとしてのモチベーションですので、Pが[シンデレラガール]佐久間まゆを願うのであれば、それは佐久間まゆ自身の目標にもなるわけですよね*9。アイドルとしての在り方が上の順位を目指すことと直結している。これが非常に強いと思います。
しかも、佐久間まゆはプランAの「恋の成就」から離れてプランB「Pの望むアイドルになる」へ移行しているわけですから、シンデレラガールになりプランBを達成したとしても、プランAはクリアできない。だからシンデレラガールになったとしても、そこで行き詰まることはない。佐久間まゆの物語は終わらない。これも強いです。もちろん総選挙の順位だけに絞った話ではありません。佐久間まゆは全般においてPの願いに応じて最高のアイドルを目指していくでしょうし、その物語は終わらない、ということです。
また、佐久間まゆは常に叶わない恋とともにある、という点が何気ないセリフにも独特の重みとストーリー性を生み出している点も挙げておきましょう。佐久間まゆは常に文脈を背負って生きている、とでも言いましょうか。ちなみに私は、[オンリーユアキューピッド]特訓後の、マイスタジオ、好きです。
長々と書きましたが、ちょっと反則技的に佐久間まゆの構造的な強さについて述べてみました。と、ここまで延々書いたものの、恋は恋で成就して欲しいですし、きっと恋が叶う頃には悲恋の文脈を外挿しなくても、十分に強いアイドルになっていると思います。
この先の佐久間まゆにささやかながらエールを送りつつ、結びとしたいと思います。
まゆすき。
*1:今見たらアルバム登録数は12/34だった
*2:佐賀エリアが実装されたら知らないけど
*3:ママドルになれる子がいる気はしているので、全員が結婚でアイドルを辞めるとは思わないけれど、も
*4:トレーナーに勧誘された真鍋いつきの例はあるけれども
*6:トライアドプリムスの例を引くまでもないか
*7:このブログも「考察」を銘打っているが、これも「すべてが描き切られていないシンデレラガールズ」だからこそのアクティビティなんじゃないだろうか
*8:もちろん従業員だというスタンスの人がいることを否定するものではない
*9:なお、よく対比される北条加蓮は、「過去の自分」から見違えるほどに変われた自分を示したい、というスタンスが強いのでロジックの順序がやや異なる点は特筆しておきたい